おまけフォトです。
2001年に中国に出張したときのおまけフォトですが、これは我が社のある取引先の事務所から向かいの建物を撮った写真です。このような地味なビルが立ち並んでいるところから初めてから一攫千金、チャイニーズドリームをみんな目指すんだなー・・・などと思ったのを覚えています。
こちら、うちの社員です。カッコイーでしょ。当時の取引先の事務所の入り口のところで撮った写真です。みなさん、ドリームズカムトゥルーを目指して頑張りましょう。
2012年01月21日 Posted by 福太郎 at 20:32 │Comments(0) │中国
実は・・・・・います。(; ´д`)


今、馬鹿田大学時代のバカボンのパパがわが社の事務所2階に居候しています。自分のアパートですと集中して勉強できないからだそうです。でも先輩の李小龍と遊んじゃっています。(´Д`)でも、これでいいのだ。赤塚不二夫世代の方は皆さんそう言っています。(^-^)
2012年01月20日 Posted by 福太郎 at 23:30 │Comments(0) │趣味関係
いろんな時代がありました。
2001年恵安石材展示会にからめた出張のときの写真です。コノ人かっこいーっしょ?我が社の社員です。偽者のデュポンのライターを買って喜んでいました。
コノ人もかっこいーっしょ?我が社の社員です。多分帰りの飛行機を待っているときの写真だと思います。
コノ人カッコ悪いっしょ?我が社の下っ端社員です。
ほんと、この頃の中国の墓石業界が懐かしいです。日本向けの墓石を扱う商社さんは日本人も中国人も知識のない人が片手間にやっても儲かっていました。でも2002~2003年頃になると本腰を入れてやる人だけが儲かっていました。中国の石屋さんはハッピーな業績で、夜もいかがわしくハッピーなのを何度も目撃しました。我が社はその光景を見ながらずーーーっと普通かいまいちぐらいの業績でした。とにかく中国の墓石業者の栄枯盛衰(こう言っては言いすぎでしょうが、あえてわかりやすい表現をさせていただきます。)はものすごいスピードでした。日本の昭和40年代から平成20年までの四十数年の流れが中国ではほんの十数年ですから。きっと他の中国の輸出関連の産業も同じような流れでしょう。
2012年01月19日 Posted by 福太郎 at 22:29 │Comments(0) │中国
輸入卸商社部会にて





私事ですが、今日は東京の上野で石材産業協会の輸入卸商社部会に出席させていただきました。と言いますか、副部会長になってしまったのでいく必要がありました。そのあと白嶋さんを励ます会という不思議な二次会に顔を出してきました。今は帰りの新幹線の中です。皆さん今年も前向きです。(^-^)/僕も前向きです。中には同じエリアでライバルになる会社のかたもいらっしゃいますがそれとこれとは別として、業界みんなで繁栄したいですね。ヘ(^_^)
2012年01月18日 Posted by 福太郎 at 22:16 │Comments(0) │仕事
輸出関連から国内需要へ・・・・・・
この写真は2001年の恵安といって、石屋さんが密集しているところの展示会のものです。
このころ福建省で行なわれる石材展示会は殆どが日本の墓石業者向けのものでした。
この人元気でやっていますでしょうか?
こちらは去年の3月のアモイの石材の展示会です。
日本の墓石業者向けのものはわずかですがあります。
墓石があっても大体欧米や他の国向け。「日本には納入するほどの品質ではないので・・・・・・」とはっきり言ってきた業者さんもいたような気がします。
あとは圧倒的に建築石材。石材の仕事を通して中国の経済が輸出から国内需要に大きく動いているのがよくわかります。
僕はスポーツが好きなのでサッカーなどでスーパースターの選手が集まるところで国の経済が繁栄されているのがわかるときがありましたが石屋さんの世界でもけっこうわかります。ただ中国でのメジャースポーツはそれほどビッグマネーが動くものは今のところないのが残念ですね。年俸10億円の卓球選手っているんでしょうか?
これは福建省のある霊園です。
3万~4万区画はかるくありそうです。中国の石屋さんはこういった霊園の事業に入り込めばガッポリいけるということでしょう。
ただ中国人が一切日本の墓石工場をやめることは今のところはなさそうです。日本人が思っているほど中国人は義理人情のない人ばかりではないということと、日本人が思っているほど中国人は銭ゲバばかりではないからだと思います。
2012年01月17日 Posted by 福太郎 at 20:35 │Comments(0) │中国
給料も上がっていますが・・・・・・・
これはアモイで10月に食べたピザハットのピザです。これが美味しいかどうかは今度カレクックに聞いておきます。
僕が初めて中国のアモイに行ったのは1998年の5月です。静岡県石材組合青年部の旅行に同行させていただいていました。忘れもしません。あの頃の光景から考えるとこういった若い人が行きたくなる綺麗な外食チェーン店はこの14年で激増したはずです。昔ながらの屋台で串焼きやおかゆを食べれば安くすみますが、仮に4人家族で月に4回ピザハットや味千ラーメンにいくとどうなるか。人民元で1人あたり少なくとも50元(日本円で約650円)は絶対食べたくなります。日本と比べて大して変わりませんよね。そうすると1回の外食で200元、4回で800元()。アパートで暮らしていたとしたら今なら家賃などの固定費で1000元以上はかかるでしょう。そうしたら人件費が高騰しているといっても若い人で家庭を築いている人はもっと家族で外食したり買い物したい。月給3000元ではあまり自由なことができない。来年の今頃ですと月給4500元(約6万円弱)でも本当に満足ではない人は沢山になる?ちなみに僕は基本的にはアモイの話しかしていません。上海では月給8000元(約10万円です。)以上の人がごろごろいるという話も聞きますのであくまで御参考となさってください。
2012年01月16日 Posted by 福太郎 at 21:08 │Comments(0) │中国
この店どーーですか?φ( ゜゜)ノ゜



2つの新年会に出席させていただいた帰りです。拉麺店に行ってしまいました。あーーーーー、(*_*)両替町のど真ん中のお店です。店のビジュアルは考えているなあと思いました。味はまぁまぁか。お店には以前わが社で一生懸命働いてくれていたF田君がいました。F田くん、頑張れ!
2012年01月15日 Posted by 福太郎 at 23:25 │Comments(0) │私生活
残業恐怖症。

たまたま国際経済振興会から昨日届いたファックスです。数年前から最低賃金の上昇はたびたびありましたがそれは概して労働条件を引き上げる、労働者の経済レベルを上げるといった意味合いだったと思いますが今回のこの情報では「出稼ぎ労働者の流出を抑えたい意向」とはっきり書いてあり、やや意味合いが変わっていると考えられます。内陸もだんだん開けて給料や経済レベルも都市部、沿岸部に近づいているから実家に帰りたいのでしょう。
最近中国の石屋さんに聞く話は、新しく人を採用するときの面接でまず聞かれることは給料ではなく残業だそうです。「週に何日ぐらい残業がありますか?」とのこと。また日本の石屋さんなら大体の方はご存知ですが今までは週末は急ピッチで夜中まで作業をやってきましたよね。その今までのような無理が利かなくなってくる。ちょっと急な注文で「悪いけど2~3件急ぎの注文が入ったから今日、明日残業できないか?」と聞かれると「えーーーー?まじっすか?ちょっと嫁に電話して相談します。」という感じになってきているようです。10年前は経営者がやれといったら必ずやらねばならない状態だったのが嘘のよう。労使関係も日本に近づいてきました。ノーモア残業?

2012年01月14日 Posted by 福太郎 at 17:15 │Comments(0) │中国
バースデー

中国ねたは一休みになってすみません。今日は望月くんの誕生日でした。こんなものをもらいました。明日ははきません。どうしたらよいのか・・・・・・・

今日は家でなにもするきがしませんでしたのでセブンイレブンのハンバーグ丼です。オススメです。こんな日もあります。明日はちゃんと書きます。おやちゅみなちゃい。┐('~`;)┌
2012年01月13日 Posted by 福太郎 at 23:06 │Comments(0) │私生活
中国の変遷②
アモイの街中でぶらぶらしていたときに撮った飲食店の入り口の写真ですが、募集のちらしが貼ってあります。これを見ると普通の街中でサラリーマンになれたらけっこう簡単に1500人民元(日本円で約19000円)以上の月給は稼げることが推測されますね。10年ほど前の話では、ソウブという少し田舎の石屋さんの工場では簡単なサンプルを作る人は日本円で1日数十円~百円ぐらいですが、そこそこの職人さんなら月に1万円以上稼げるといった話を聞きました。10年で大きく時代が変わったのでしょう。今では同じような給料ではもちろん働いてはくれません。
もちろんはっきり中国の会社の人に「あなたの会社のあの人の給料いくら?」とは聞けませんので大体の推測ですが、もう写真のような職人さんは半分以上は30000円以上もらっているでしょう。中国でも3K(きつい、きたない、きけん)の仕事にはあまりつかないようです。ちなみに
福建省の#614という石の採石場ではあまりにも危険なため職人さんは5000人民元(約63000円)以上の月給だという噂を聞いています。あながち嘘ではないでしょう。