いろんな時代がありました。
2001年恵安石材展示会にからめた出張のときの写真です。コノ人かっこいーっしょ?我が社の社員です。偽者のデュポンのライターを買って喜んでいました。
コノ人もかっこいーっしょ?我が社の社員です。多分帰りの飛行機を待っているときの写真だと思います。
コノ人カッコ悪いっしょ?我が社の下っ端社員です。
ほんと、この頃の中国の墓石業界が懐かしいです。日本向けの墓石を扱う商社さんは日本人も中国人も知識のない人が片手間にやっても儲かっていました。でも2002~2003年頃になると本腰を入れてやる人だけが儲かっていました。中国の石屋さんはハッピーな業績で、夜もいかがわしくハッピーなのを何度も目撃しました。我が社はその光景を見ながらずーーーっと普通かいまいちぐらいの業績でした。とにかく中国の墓石業者の栄枯盛衰(こう言っては言いすぎでしょうが、あえてわかりやすい表現をさせていただきます。)はものすごいスピードでした。日本の昭和40年代から平成20年までの四十数年の流れが中国ではほんの十数年ですから。きっと他の中国の輸出関連の産業も同じような流れでしょう。
中国、印度の状況について触れていただきました。
654の話。今は昔。(/・ω・)/
忘れ物の財布がありました。奇跡(゚д゚)!
恵安国際彫刻芸術品博覧会。一見の価値あり。( `ー´)ノ
斎藤社長も望月会長も生き生きとしていました。( ◠‿◠ )
通訳、裏方さんたちにも感謝。!(^^)!
654の話。今は昔。(/・ω・)/
忘れ物の財布がありました。奇跡(゚д゚)!
恵安国際彫刻芸術品博覧会。一見の価値あり。( `ー´)ノ
斎藤社長も望月会長も生き生きとしていました。( ◠‿◠ )
通訳、裏方さんたちにも感謝。!(^^)!